本『わたしはイザベル』<I FOR ISOBEL >
『わたしはイザベル』
エイミー・ウィッティング作
”イザベルは姉とちがって
誕生日プレゼントをもらえない。
母親からいつも「うそつき」
だと言われ、成長しても自分が
正しく振舞っているのかわからない。
だが読書を心をよすがに自活をはじめ、
生きるための苦闘を続けるうちに、
自らの言葉の才能を見出していく。”
~解説より~
久しぶりに読む翻訳本でした。
ふいにパッと時間がすすんでたり、
たびたび置いてけぼりにされましたが
すこし不安定な文体もイザベルの
精神状態を表しているかのようで、
彼女の行く末が気になり
一気に読んでしまいました。
生まれ育った家庭環境に
恵まれず、人との距離感が
うまく取れない。
それで何度も同じような
失敗をくりかえしながらも
腐らず自分を立て直そう
とするイザベル。
後半、ようやく自分の道を
たぐりよせるまでの流れがリアル。
イザベル本人の気持ちになったり、
母親目線で、胸がいたんだり
読んでいて忙しかった。
また 時間をおいて読みなおしたい物語。
装丁の絵も好き。この物語にとても似合っています。
<以下、印象的だったところを自分用にメモ>
”ほんものの生活を始めたい。普通の人と同じようになりたい。こんな風に生きるのだという自分だけの理想をかなえたい。部屋の姿をした理想に、家具の姿をした理想を選ぶ。その生活には、激しい怒りも、後ろ暗い情熱も、世界からの執拗な殴打もない。”
”専門学校に行くようになって、イザベルには外食の楽しみができた。
カフェのテーブルにつき、フィッシュアンドチップスを食べ、お皿のそばには開いた本を置く。誰にも気兼ねなく読書をして、誰かにかまわれることもない。覚えている限り、こんなに心が安らぐのは初めてだった。”
”生まれた時から、出来の悪い人間がいるのは仕方ないと思うんです。
自分で選んでそうなったわけじゃなくて、造り手がうっかりしていたかなにかで。
だけど、どうして変わるという選択肢がないんです?
わたしは選べるとおもってました。人生をひとつの部屋みたいにして。中に入れるものを選べると思っていました。それは、思い上がりだったんでしょうか。修道士も修道女もそうしてるのに。”
”使ったままの食器、テーブルの上に置いたままの油じみたフライパン、部屋の隅に小山になった汚れた衣類ーー偶然でこれほど部屋が散らかるわけがない。この散らかりようは、イザベルが自分にあてた伝言だ。その伝言とは、静寂と孤独だった。”